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そうか、その手があったのか、、「特別車両」の件

突如として出現したE655系。
工場出場時の写真では、特別車両は覆いがされたまま。

今週に入って上野駅で公開されてようやく細部の情報が入ってきた。E655系ということなので、交直流電車ということはわかったが、ディーゼル発電機も積んで、非電化区間も機関車牽引で入線できるらしい。

そして、注目の車号は、特別車両がE655-1。サロでも、サでもない、奇抜な命名。157系と連結するように作られたクロ157-1が普通の車号を与えられていたのと比べると、扱いが明らかに異なる。

そういえば、クロ157-1は、低運転台の東海型であり、しかも、185系と連結するようになってからは塗装も白に緑の帯という、国鉄型特急色から様変わり。

話題をE655系に戻すと、残りの車両はクロ、とか、モロなど通常の命名法が踏襲されているものの、いずれも100番台とか200番台であるということは、やはり基本番台はE655-1だけに許された特権ということか。

レイアウト図をみると、普通車も三列シートで居心地はよさそう。でも、どの車両もむやみと機械室が大きい。これでは三列シートとあいまって、乗車定員はかなり限られてしまう。20~30人程度となってしまう。

また、冷房がJR東日本には珍しく一車両に二台搭載、ということは、特別に強力ということか。

詳報を待とう。

7/24日記

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江戸東京博物館「大鉄道博覧会」

両国の江戸東京博物館で、今月十日から、「大鉄道博覧会」が開催されているので、早速連休の初日に訪れた。それにしても、江戸博物館らしい、仰々しい命名だ。

入口にいきなりC59などが待機してる蒸気機関車最後の輝きの瞬間を写し取った大型の写真が印象的。職員も、いわゆる菜っ葉服を着ている。実は、内心、交通と縁の薄い江戸東京博物館でどの程度、本格的な鉄道の展示ができるのか、危ぶんでいたのだが、この写真を見てその心配は杞憂であることがわかった。

展示内容は明治時代の鉄道の黎明期から、新幹線が開通する直前の昭和三十年代までを扱っている。戦後の国鉄が一番か輝いていた時代、それが昭和三十年代だ、という主張が感じられる。

たしかに、折からの高度成長に乗って、輸送量は増加の一途、また、今ほど自動車や航空機といった競争輸送機関は発達していない。つまり、鉄道が文字通り、国民の足として機能していた時代だ。

国鉄もこうした時代の要請にこたえるかのように、モハ90系に始まる新性能電車の開発、151系のコダマ、ブルートレインの開発、とそれまでの常識をつくがえすような新型車両を次々と投入していった。その一方、新幹線の建設を進めたわけであるから、技術陣も大活躍であったろう。

こうした国鉄の黄金期で切って展示をしたことは、歴史を中心に展示をする江戸東京博物館のコンセプトとも合致する。

また、ハードウエアの車両の紹介だけではなく、各時代の世相を写真や資料を使って丁寧に説明してた。戦後直後の買い出し列車、昭和三十年代の通勤ラッシュ(101系のドア部だけの展示があった。どうも実車らしい)、集団就職列車など、今では想像もつかない鉄道の使われ方が要領よく説明されていた。

お盆や年末の東北方面に帰省する人々が自由席に並ぶため、テント村ができた、なんていうのも、今では考えられない。特に上野は新幹線開通後、常磐線方面を除いて途中駅になってしまったので、その変化が劇的だ。

最後に、展示の後の企画展専用の売店が相当充実していることも特記しておきたい。少なくともぼくが見る限り、最近数年に出版された鉄道関連書籍はすべてといってよいほど揃っている。また、模型類も単なる子供だましというレベルではない。

ちなみに私は、一枚千円なる鉄道ポスターを四枚も買ってしまいました。

というわけで、鉄道ファンにも十分耐えられるだけの内容をもっていると思う。九月まで展示されているので是非ご一覧を。

7/15日記

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中央線高架化

7/1日、中央線の高架化プロジェクトのうち、真っ先に完成した、下り線の三鷹~武蔵小金井間を視察に行ってきた。

三鷹をでると、これまでのように直線では進行せず、分岐を通って高架にのぼりだす。出来立てのためか、効果の始まりの個所は徐行65キロ、という表示が出ていた。登りきってしばらくすると、もう武蔵境。ここで下車すると、西武線までは、一度地平レベルまで下がり、改札を出たあと、登らされる、というまだ途中段階。構造物はJRと完全に離れた格好になっているが、是政線のホームも北側がまだ暫定的に鉄板でふさがれているだけになていた。

次の東小金井では、ホームは相対式だが、北側に分岐した側線が完成していた。架線も張られていたが、ここで退避などを行う必要があるのだろうか?また、将来上り線への分岐ができるようにポイントがあらかじめ設けられていた。

武蔵小金井は島式の一面二線。2番線側は立川方面が地平に降りていくので、電車区への通路となっているだろうか。確かに武蔵小金井は電車区を抱えたまま高架とする必要があるので大変だ。沿線の中野や三鷹は地平に下っているのでそのような問題がないが、武蔵小金井の場合は、駅前に大きな踏切があるので、そうもいかないのだろう。上下線とも完成時は、高架の真ん中に地平に向かう、引き込み線が設けられるのであろうか。

どの駅も当然のことながら真新しく、これまでの古びた地平ホームとはだいぶ雰囲気が変わった。ホームなどの作りも三鷹以東の旧態依然とした高架とは比べ物にならない新しさである。ただ、まだ下り線だけであり、役としての使いやすさはまだまだ評価できるレベルには至っていない。

それにしても、高架駅とE233系の組み合わせは何十年と無風状態にあった中央線にも変化の波が押し寄せてきつつあることを実感させるには十分な光景であった。

7/1日記

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